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秋田地方裁判所 平成3年(わ)107号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一  本件公訴事実

本件公訴事実は、「被告人は、平成三年一一月三日午後一一時ころ、秋田県山本郡〈番地略〉所在の知人のN方を訪れた際、同人が被告人を邪険に扱った上、被告人を避けたことに立腹し、そのうっ憤晴らしに右N方家屋に放火しようと決意し、翌四日午前零時二〇分ころ、同人方一階の居間内において、所携のオイルライターで同室内にあった洗濯物に点火して火を放ち、その火を同室内の使用中の反射式石油ストーブの灯油及び付近の茶たんす等に燃え移らせた上、同人方家屋に燃え移らせ、もって、現に人の住居に使用する同人所有の木造一部二階建家屋一棟(床面積合計78.79平方メートル)並びに隣接するY方木造平屋建家屋一棟及び薪小屋一棟(床面積合計122.31平方メートル)を全焼させて焼燬したものである。」というものである。

第二  公訴事実に対する当裁判所の判断

一  〈書証番号等略〉によれば、平成三年一一月四日午前零時三〇分ころ、秋田県山本郡〈番地略〉N方居宅から火災が発生し、同居宅が全焼した外、N方に隣接するY方にも延焼し、同人方居宅及び薪小屋が全焼したこと、被告人は、当時N(以下「N」という)と親密な間柄にあり、右火災発生の約一時間三〇分前である同月三日午後一一時ころからN方に上がり込んでいたが、Nは酩酊状態にある被告人を避けるべく、火災発生の四〇分ないし一時間前から戸外の物置小屋に隠れていた関係上、右火災発生当時、N方居宅内には被告人が独り居残っていたこと、出火当時、Nは前記物置小屋において人の叫び声を聞き急遽自宅に駆けつけたところ、被告人がN方居間の西側にある出窓から仰向けの状態で上半身を乗り出し片手で身体を支えながら「あっちでば、あっちでば。」とか叫んでおり、屋内を見たところ、居間に置いてあった反射式石油ストーブの前のカーペット上に布の燃え殼様のものが三箇所で燻っており、反射式石油ストーブとその背後に置いてあった茶箪笥が猛烈な炎に包まれていたこと、以上の事実を認めることができる。

また、〈書証番号略〉によれば、焼け跡を見分した結果、N方居宅の居間の反射式石油ストーブ付近の焼失度が最も著しく、同所付近が出火場所と考えられたが、現場に残った反射式石油ストーブ自体には異常燃焼の形跡はなかったこと、そして、以上の焼け跡の状況に照らし、出火のメカニズムとして、何らかの理由で生じた火種が反射式石油ストーブの置き台上や空気取入れ口付近にたまっていた綿埃を媒介として、カートリッジ式石油タンクの受け口付近にまで延燃し、毛細管現象により吸出されていた灯油に綿埃を芯として着火して灯油が燃え出し、更に、その燃焼による熱によってカートリッジ式灯油タンク内の空気が膨張することによってタンク内の灯油が吹き出し、吹き出した灯油に着火することによって反射式石油ストーブの周辺で爆発的な灯油の燃焼現象が起ったものと考えられること、以上の事実を認めることができる。

右認定事実によれば、火災発生当時、出火場所に居合わせたのは被告人ただ独りであり、また、Nが屋外に出た時点においては反射式石油ストーブの付近には可燃物が置かれていた形跡がないこと、本件全証拠によっても第三者による放火の可能性は全く窺われないことからすれば、本件火災の発生につき被告人が関与したか否か、殊に、被告人において、Nが部屋から抜け出して被告人を放置したことに立腹し、当時酩酊状態にあったことも加わって本件放火行為に及んだ事実の有無が問題となる。

この点につき、被告人は、捜査段階の当初右火災と自己との関わりを否定したが、その後、一旦は本件公訴事実と同趣旨の自白をし、その後再度否認に転じ、公判廷においては一貫して公訴事実を否認した。

本件の成否は、被告人の捜査段階における自白の任意性、信用性の有無にかかるが、この点に関する判断に先立って、まず、被告人とNの交際状況ないし本件当夜の被告人の言動、本件出火場所と目すべきN方居宅居間の状況について検討する。

二  被告人とNとの交際状況、本件当夜の被告人の言動等について

〈書証番号略〉によれば、次の事実を認めることができる。

1  被告人の経歴等

被告人は、昭和四二年妻Kと結婚し、同女との間に二女、一男をもうけたが、妻Kは、平成二年一二月に家出をし、以後行方不明となり、被告人は、平成三年一一月当時、大工として稼動しながら、長男と被告人の父親と三人暮らしをしていた。

2  被告人とNとの関係

被告人は、昭和四七、八年ころ、Nが経営していた「ホルモン焼・力」を改築する際、同店の工事を行ったころから同女と顔見知りとなり、その後も同店に客として足繁く通うようになり、昭和五八年ころ、被告人とNは肉体関係を結び、以来、同店やモーテル等で交際を重ねていたが、Nの夫が昭和六三年一二月以降長期入院するようになってからは酒に酔った状態で、しばしばN方を訪れるようになり、その頻度は、当初は月五、六回程度であったが、被告人の妻が家出した後の平成二年冬頃からは、週に二、三回程度となり、N方に宿泊したり、飲酒の相手をしてもらった後に帰宅する等して、本件火災時まで交際を続けていた。

被告人にとっては、自宅に帰っても話し相手がいないことから、被告人の世話をし、頼りにしてくれるNと時を過ごすことに安らぎを覚えるようになっていった。

一方、Nの方も、被告人に、無料あるいは格安な手間賃で店や自宅の改修等を手掛けてもらったり、同女が夫の入院先の見舞いや、同女が師匠をしている日本舞踊の講習に出かける際に車で送迎してもらう等親身に尽くしてもらっていたことや、数年前に、被告人から、「お前にどうしようもなくほれてしまった。」と言われたこと等から、次第に被告人に愛情を抱くようになっていった。

3  被告人の性格、酒癖、飲酒量等

被告人は生来寡黙で、仕事に真面目に取り組む性格であるが、酒好きで、飲酒すると饒舌になり、飲酒量が進むに従って目が据わり、起立すると身体が左右に揺れ、歩行がふらつくようになり、他人の悪口や愚痴を何度も繰り返し、そのような程度になると、早晩その場で寝入ってしまう傾向があった。また、話がくどくなりはじめると、被告人は、Nの腕や服を引っ張ったり、身体を突いたりして自分の話を聞かせようとし、これに対しNは、適当な相槌を打ちながら聞き流すように被告人の相手になっていた。

また、平成二年春頃、酒に酔った被告人が、一万二〇〇〇円程度の紙幣をNに渡そうとしたが、同女が受け取らなかったところ、矢庭にその紙幣を丸めてライターで点火し、灰皿の上で燃やしたこともあった。

4  事件発生当日の被告人の行動

(一) N方を訪れるまでの行動

被告人は、平成三年一一月三日午前八時三〇分ころ、自家用貨物自動車を運転して、藤琴川堤防付近に鴨猟に出かけ、夕刻ころ、一旦帰宅し、同日午後六時ころ、当日射止めた鴨を手土産に、自動車で、知人のS方を訪れ、同人宅で、日本酒二、三合を飲酒し、同日午後七時三〇分ころ同人宅を辞した。その後、自動車を運転して寿司店「おばこ寿し」に赴き、持ち帰り用に握り寿司を二人前注文し、店内でビール大瓶一本を空けた後、同日午後八時二〇分ころ、寿司を手土産にA方を訪れ、同人宅で日本酒約二合程を飲酒した。被告人は、A宅では、持参した握り寿司が値段ほどの価値がない等文句を言いだし、A宅を辞するにあたり、同人から業者に自家用車の運転の代行をさせるよう再三説得されたにもかかわらず聞き入れず、寿司店「吾妻寿司」に向かうべく、自ら自動車を走らせて、同店近くにある吉田歯科駐車場に車を駐車した。しかし、店が閉店していたため、同日午後一〇時二〇分ころ、付近で営業中の飲食店「蘖」に立ち寄った。被告人は、「蘖」においては大分酔った調子で、ビールの入ったコップを手で引っ掛けて倒してしまったり、店主にいいつけて、知人であるTを電話で呼び付つけようとしてTに断られたり、居合わせた客に「お前、立派な服装しているな。銀行員だが。」等と意味のないことを話しかけたりしていたが、店主や客に相手にされないでいると、しばらくは、一人で少しずつビールを飲んでいたが、同日午後一〇時四五分ころ、ビール大瓶半分程度を残したまま店主に勘定するよう要求し、代金として一〇〇〇円を支払い、その際、千円札二枚を足元に落としたことから、店主が拾って被告人の胸ポケットに入れてやろうとすると、「さわるな。」と店主を怒鳴って手を振り切ろうとした。しかし、店主になだめられてポケットに紙幣を入れてもらい、その後ふらつきながら店を後にした(なお、被告人は当日の朝からまともな食事を摂っておらず夕方以降も酒のつまみを食する程度であり、酔いの回りやすい状況にあった。)。

(二) N方を訪れてからの被告人の行動

被告人は、同日午後一一時前後ころ、N方を訪れ、鍵のかかっていない玄関から一人で中に入り、居間でうたた寝をしていたNに対して、「勝手口のドアただいだども、なして開けな。」と文句を言い、これに対してNが、「わりがった、眠ってあったな。」と答えると、Nの隣に座って、「蘖もすけべたがれだ」などと「蘖」の悪口等をくどくど話し始めた。

Nは、明朝踊りの発表会をひかえていたので、早く就寝したいと思っていたが、被告人の様子からして、被告人が大分酔っていると感じたので、被告人の小言に対し、軽く相槌を打ちながら聞き流し、また、話題を変えようと、明日は発表会である旨被告人に告げて、祝儀として貰った熨斗袋を見せたりしたが、被告人はこれにとりあおうとはしなかった。

被告人は、自分の話を聞かせようとして、Nの左腕を引いたり、セーターの襟ぐりを肩が見えるほどに引き寄せたりし、また、トイレに立とうとしたNの腕を引っ張って側に座らせて、「じぇんこほしいか。」と千円札三枚を差し出し、Nが、「欲しで。」と言ったものの、受け取った紙幣のしわを延ばして四つ折りにし、カーペットの上に置いてトイレに立とうとすると、被告人は、「こんた、めくされじぇんこいらねてが。」と文句を言って、Nが置いた紙幣を散らかした。

Nは、美容院でセットした髪形を乱されては困ると思い、発表会に使用する着物や小物等を隣室に片付ける等し、なるたけ被告人の相手にならないようにしていたが、その後、自分が部屋からいなくなれば、被告人は早晩、その場で寝入ってしまうか帰るかするだろうと思い立ち、被告人に知られないように、玄関から屋外に出て、二、三〇メートル離れた物置小屋に身を潜めた。

三  N方家屋の概要及び居間の状況について

〈書証番号略〉によれば、次の事実を認めることができる。

本件火災による被害家屋の一つであるN方家屋は、同人が昭和四九年ころに新築し、昭和五八年に同人名義で保存登記した、秋田県山本郡〈番地略〉所在、木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建、床面積一階58.23平方メートル、二階16.56平方メートル計74.79平方メートルの建物で、その間取りは別紙のとおりである。

居間の広さは一〇畳位であり、別紙のとおり、その南側は廊下及び六畳間につながり、南東側には二階に上る階段がある外、北東角には勝手口があり、西側及び北側に出窓が設けられ、各出窓とも二本引きのガラス窓であった。

居間東側には、階段側から順に茶箪笥(奥行約五〇センチメートル、横約九〇センチメートル、高さ約一メートル。)、テレビ台、その台上にテレビ及びビデオデッキがそれぞれ置かれ、その北側にはハイザーが置かれていた。茶箪笥の上には白色のビニール製テーブルクロスが敷かれ、その上に時計、領収書、請求書、人形、二〇センチ位の三味線の置物等が置かれていた。茶箪笥の正面から五、六センチ西側には反射式石油ストーブが置かれ、他に同室内にはソファー、テーブル、温風式ストーブ等が置かれていた。

右反射式石油ストーブは、カートリッジ式のタンクで給油する形式のものであり、約十数年前に購入されたもので、ここ四、五年は分解掃除されたことはなかったが、異常燃焼を起こしたことはなく、本件火災後に行われた鑑定結果によっても異常燃焼を起こしたような形跡は認められなかった。Nは同日午前八時ころ、右タンクに満タンまで灯油を入れ、同日午後七時ころまでに三、四時間使用し、午後七時ころから本件火災まで燃焼の状態のままにしていたが、右ストーブの前面には特に燃えやすいような物は置かれていなかった。温風式ストーブは同室の北東側に置かれており、同ストーブも同日午後七時ころから本件火災まで燃焼状態のままにされていた。

また、右居間には、洗濯物を干すため南北、東西にそれぞれ針金が張られており、南端は、居間東南角から西側に約八四センチメートル、床面からの高さ約二メートルの居間南側壁に打ちこまれた釘にまかれ、北端は、居間北東角から西側に約八七センチメートルの位置にある柱の床面からの高さ約一九〇センチメートルの場所に取り付けられた曲りねじにまかれ、東北端は、居間北東角から南側に約九一センチメートルの位置にある柱の床面からの高さ約一九一センチメートルの場所に打ちこまれた釘にまかれ、西端は、居間北西角から南側に約九二センチメートル、床面からの高さ約一八九センチメートルの居間西側壁に取り付けられた曲りねじにまかれていた。そして、前記反射式石油ストーブは南北に張られた針金のちょうど真下にあり、南北に張られた針金には、居間南側から順にバスタオル(縦約一三〇センチメートル、横約六〇センチメートル)、敷布(縦約二五〇センチメートル、横約一五〇センチメートル)、布団カバー(縦約二五〇センチメートル、横約一五〇センチメートル)がそれぞれ洗濯ばさみは使わずに二つ折りにして掛けられ、その北側には下着やハンカチ等をつるしたプラスチック製の物干しが掛けられていた。右バスタオルの南端は、針金の南端から北側約九三センチメートルの位置にあり、幅は約六〇センチメートルで、その約三分の二の北側部が右反射式石油ストーブの真上にあり、右反射式石油ストーブの上面からバスタオルの下端の距離は約七五センチメートルで、バスタオルの北端から約八七センチメートル離れた位置に敷布が約五三センチメートルの幅で干されており、敷布の北端に布団カバーの南端が接するような形で布団カバーが干されていた。洗濯物はほぼ乾いている状態であった。

居間の西側の出窓は、奥行は約四〇センチメートルで、床の高さから約1.2メートル以上、屋外の地面からはほぼ被告人の身長と同程度の高さがあり、その出窓には、入浴剤の空き缶、額、火の神様の写真入り(高さ約三〇センチメートル)、箱型の小神社(縦約四〇センチメートル、横約三〇センチメートル、高さ約四〇センチメートル)、花瓶(高さ一五、六センチメートル)、貝殼(直径約一〇センチメートル)、カートリッジ灰皿(直径一二、三センチメートル)、本六、七冊が置かれており、出窓に向って右側には出窓のガラス戸の三分の一くらいを塞ぐようにサイドボードが置かれているため、その出窓の開閉可能部分は、五、六〇センチメートル程度であり、出窓の外側には網戸用の網が張られていた。また、出窓の下には横約六〇センチメートル、奥行約四〇センチメートル、高さ約一メートルの小箪笥と横約四〇センチメートル、奥行約四〇センチメートル、高さ約四〇センチメートルの小箪笥があり、その上にはペン立て、鉛筆削り器、雑誌、写真等が置かれていた。

なお、同月四日午前八時から午前九時まで、同月五日午前九時から午後五時まで及び同月六日午前九時から午後三時一〇分まで行われた実況見分時、西側出窓は北側から南側に開かれた状態、北側にある二つの出窓はいずれも閉じられた状態で、勝手口のシリンダー錠は施錠された状態であった。以上のように認められる。

四  自白調書の任意性、信用性

前記のとおり、被告人は、捜査段階において、本件公訴事実に沿う供述をしている。

弁護人は、右の自白は、捜査官が被告人に対し、放火したことを自白すれば許してやるなどと偽計を用いたことによるもので、任意性を欠くと主張するが、本件全証拠をもってしても、捜査官が右のような偽計を用いたと認めるに足りる証拠はない。そこで、以下右自白の信用性の有無につき検討を加える。

1  自白の変遷状況

〈書証番号略〉によれば、被告人は、同月四日及び同月五日捜査官の取調べを受けたが、右取調べでは、N宅に行っていない、覚えていないなどとして犯行を否認した。ところが、同月六日の取調べの際被告人は本件を自白するに至り、同月一四、一五日ころから再び否認に転じ、当公判廷でも、あついと言ったような記憶だけあるが、N宅へ行ったこともそこから帰ったことも酒に酔って覚えていないとして犯行を否認している。

2  自白調書の供述内容に対する疑問点

(一) 動機について

本件犯行に至った経緯、動機について、被告人は、「私は、Nの脇でテーブルの側に座り、タバコを吸ったりしていたのですが、そのうち、たぶん私の方からと思いますが文句をつけたり、Nの体に突っかけたり始めたためにNは居間からいなくなったのです。家の中に隠れていたのか外に出たのかはわかりません。Nがいなくなってしばらくの間私はタバコを吸ったりしていましたが、いくら呼んでもNが居間に戻ってこないためイライラしてきて面白くないし、腹いせにオイルライターに点火し、部屋の東側茶箪笥の前にある反射式ストーブの上に干していた大きめの布で敷布かバスタオル二箇所位に火をつけたのです。」(司法警察員に対する平成三年一一月六日付供述調書)、「私は酔ってNさんの家に行くと、Nに文句を言ったり腕を掴んだり突っかかったりしていますが、いつもNさんは嫌がらず私の話し相手や飲み相手をしてくれたのですが、今回はどういうわけか居間から出て行き戻って来なかったのです。このようなことはこれまで一度もなく全く初めてだったので、イライラして面白くなかったことから腹いせに干し物に火をつけてしまったのです。」(同平成三年一一月七日付供述調書二通)、「私はNさんの家に遊びに行ったんですが、私がNさんの体を引っ張ったりしたため、Nさんは家から出て行ってしまったのです。私はこのことが頭に来てうっぷん晴らしに私の持っていたライターで火をつけたのです。」(検察官に対する平成三年一一月八日付供述調書)旨いずれも極めて簡単な供述をしているに過ぎない。

右調書でまず疑問に感じるのは、Nが居間を出て行ってから火災に至るまでは四〇分ないし一時間が経過しているはずであるのに、この間の被告人の行動、心理状況の変化について全く触れられていないことである。

真犯人であれば、この間いかなる行動をしていたのか、家中あるいは家の外に出てNを捜したのか、捜さなかったとすればその理由は何か容易に供述しえたはずである。

また、Nの不在でイライラが嵩じたとしても、何故に火を放つ決意をしたのか、火を放つ対象として反射式石油ストーブの上に干してある洗濯物を選んだのは何故なのかについての説明がない点も唐突に過ぎ、不自然である。

検察官は、被告人には過去に紙幣にライターで火を点け燃やしたことがあるのでこの種の傾向があることを指摘するが、右事実はあくまで、Nという怒りの対象が目の前にいることを認識しながら敢えてその面当てに行ったことに過ぎず、しかもことは灰皿の上でなされたものであり、これを捉らえて、被告人に放火の悪性があるとの認定は困難である。

被告人の取調べに当たった三浦芳則は当公判廷での証人尋問において、犯行の動機について、被告人の詳細な供述がないのは、単に自分が聞くのを忘れたからである旨の証言をするが、たとえ、取調担当者が失念したとしても、上司から何らの指導もなされないことは通常考えられないことである。

前記認定のとおり、被告人とNは当時、精神的に支え合っているいわば夫婦のような関係にあり、被告人としては、Nの家に行くことが自分の家に帰るような安心感を覚えていたというのであり、Nとの間で深刻ないさかいが生じていた形跡はなく、事件直前においても、Nが被告人を相手にしなかったこと以外には、Nが被告人に暴言を吐く等被告人を逆上させる行動に及んだこともなかったし、また、本件火災発生前の数日間の被告人の行動をみるに、自らの趣味である鴨猟に出かけているのであって、この間格別精神的苛立ちを覚えるような状況も存在せず、被告人が放火するに至る遠因となりうる事情も見当たらない。そうすると、本件において、もし被告人が真実放火をしていたのであれば、その直接の動機となりうる決定的なものは何であったのだろうかとの素朴な疑問が残り、前掲被告人の自白調書のみでは右疑問は拭い去ることができないのである。

(二) 火の燃え広がり状況について

前記認定のとおり、本件火災は、反射式石油ストーブの周辺に落ちた火種が右ストーブの置き台の上や空気取入口付近にたまっていた綿埃を媒介として、毛細管現象により吸出されていた灯油が燃え出し、更に、その燃焼による熱によってカートリッジ式灯油タンク内の空気が膨張することによって、タンク内の灯油が吹き出し、反射式石油ストーブの周辺で爆発的な灯油の燃焼現象が生じ、火災に至ったものと推察され、また第二回公判調書中の証人戸田芳徳の供述によれば、右のような爆発的な燃焼現象が生じなければ、仮に茶箪笥に炎が上がったとしてもその炎はいずれ消えてしまい、建物全体が火災に至ることはなかったものと推測されるというのである。右事実からすれば、本件においては、いかなる経過を辿って着火したかを問わず、反射式石油ストーブの周辺で爆発的な灯油の燃焼現象が生じ、これを契機に大火災に発展したと考えられ、仮に被告人が犯人であって、着火後の火の燃え広がり方を目の当たりにしていたのであれば、当然右のような極めて印象的な現象に直面したはずであるから、自白段階でもかかる印象的な体験を供述するのが自然である。

ところで、被告人は、火の燃え広がり方につき、司法警察員に対する平成三年一一月六日付供述調書では、「干し物にライターで火を点けたのです。何十秒か数分かはっきりわかりませんが、そのうち干し物の火の点いた一部がストーブの前周辺に落ち、ジュウタンかカーペットかわかりませんが敷いていたのが燃え広がり、当然のごとくストーブの上の大きめの干し物も燃え上がり周辺に燃え移っていった。」旨、火災は、干し物自体が周辺に燃え広がったことと、落下した干し物がカーペットに燃え広がったことにより大きくなっていったような供述をしており、司法警察員に対する平成三年一一月七日付供述調書(「これから」で始まるもの)においても、「干し物が燃え落ちてカーペットが燃え上がったり、他の干し物等が燃えたのを見て大変なことをしてしまったと思った。」旨、火災は、落下した干し物によりカーペットが燃え広がったことと、着火した干し物が他の干し物にも燃え移ったことにより大きくなっていったかのような供述をしているが、司法警察員に対する平成三年一一月九日付供述調書では、「バスタオル二箇所に火を点けたところ直には燃え上がらず、少ししてから上の方に燃え炎が出て、反射式ストーブの前や後に火の粉が落ちカーペットがくすぶり燃えて、茶箪笥の上も燃えたのです。カーペットは点火中のストーブの前にあり乾燥していたので二〇センチくらいの大きさのものが三箇所位が焼けて燃え、茶箪笥の上はビニールテーブルクロスが敷かれ、その上に人形、三味線の飾り物、置時計、領収書などがあり、バスタオルの火の粉で燃え上がったのです。その時の煙は階段のところにドアがないのでどんどん階段から二階の方に流れていきました。そのうち茶箪笥が激しく燃え、熱くなったので大変なことをしてしまった、とんでもないことをしてしまったと気付いたのですが、そのときは消火のできない状態になっていました。」旨、カーペットに落ちたのは火の粉でありそれがくすぶり燃え、茶箪笥にも火の粉が落ちて上部に置かれていた置物等がまず燃え、その後茶箪笥が激しく燃え出したという供述をしている。

右各供述に、看過できない供述の変遷のあることは後述するが、炎が、被告人の右各供述のとおりの燃え広がりをしたとしても、それが本件火災に発展するためには、反射式石油ストーブの爆発的な燃焼が契機となるはずであり、被告人が真実現場でそれを目撃したのであれば、その経過について当然供述してしかるべきであるはずなのに、右各供述調書にはこの点について全く触れられていない。

後述のとおり、捜査官は、平成三年一一月四日にNから、「反射式石油ストーブの前のジュータンの方から二〇センチメートル×二〇センチメートル位の大きさのバスタオルか洗濯物を固めた様なもの三箇所位から炎が上がり燃えていた。」との事情を、同月七日には「ストーブの上の洗濯物は燃え、反射式石油ストーブの後の茶タンス付近の方が燃え、赤い炎が出て強く燃え天井まで炎が上っていた。」との事情を聴取し、また、同月九日の午前中には同女の指示説明に基づく詳しい実況見分を済ませ、被告人の自白調書が作成された後の同月一四日ころ、燃焼実験により本件出火のメカニズムが解明されたものであるところ、被告人の各自白調書の内容は、同月九日までに捜査側が知りえた事情に基づき容易に予測可能な枠を越えるものではなく、自白後に解明されたストーブの爆発的燃焼については何ら言及されていない。

この点に鑑みると、被告人の自白は真に自らの記憶のみで語られたものかどうか疑問がある。

(三) 犯行後の行動について

右認定のとおり、被告人はN方居間の西側にある出窓から片手で何かを掴み仰向けのような形で上半身を出して「あっちでば、あっちでば。」と叫んでいたこと、同月四日午前八時から午前九時まで、同月五日午前九時から午後五時まで及び同月六日午前九時から午後三時一〇分まで行われた実況見分時、西側出窓は北側から南側に開かれた状態、北側にある二つの出窓はいずれも閉じられた状態で、勝手口のシリンダー錠は施錠された状態でそれぞれあったことからして、被告人がN方居間西側の出窓北側窓から屋外に脱出したことは疑いのないところである。ところで、右認定のとおり、右出窓は、居間の床の高さから約1.2メートル以上、屋外の地面からはほぼ被告人の身長と同程度の高さがあり、その出窓には、箱型の小神社、花瓶等が置かれ、北側ガラス戸の三分の一位は、右サイドボードにより塞がれており、外側には網戸用の網が張られ、出窓の下には小箪笥二棹が置かれている状態であり、火災発生という異常事態から避難する避難経路としては脱出するのに困難な場所であったことが認められる。むしろ居間東北角にあった勝手口の方が脱出が容易であることは明らかであり、被告人は頻繁にN方を訪れていたのであるから、右のような事情は熟知していたはずである。それにもかかわらず、被告人が脱出することが相当に困難な場所から上半身を出し、出窓から片手で何かを掴み仰向けのような形で「あっちでば、あっちでば。」などと叫んでいた理由として考えられるのは、既に勝手口からは脱出できない程に火の回りが早く、身の危険を生じる極めて切迫した状況下にあったためか、あるいは寝入っていたところ熱さで目をさまし、全く予期しない火災に遭遇して著しく冷静さを失い、避難経路としては炎と逆方向の出窓しか想い浮ばなかったためと考えられる。本件では、被告人が自ら放火行為に及んだというのであるから、後者の理由は右自白と明らかに矛盾し、自白との整合性を保つには前者の理由しか考えられない。しかし、そうだとするとたとえ未必的であれ、家屋の焼燬を認識認容して放火行為に及んだはずの被告人が、脱出が困難となる程切迫した状況に至るまで逃走経路の確保をはかることなく、その場にとどまっていたことになる。しかし、こうした行動は、放火行為に及んだ者の行動としては極めて不自然である。また、本件においては、火の回りが逃走経路が確保できないほど急速に生じたという事情も存在しない。即ち、〈書証番号略〉によれば、反射式石油ストーブ上の洗濯物に点火してから反射式石油ストーブや茶箪笥が激しく燃えるまで約一〇分を要しており、しかもこの時点においても勝手口方向にも火の手が及び、そこからの逃走を困難にさせるという状況は窺われない。〈書証番号略〉によると、右実況見分の時と異なり、反射式石油ストーブの前面に火源が落ちれば、約五分間程度で反射式石油ストーブ、茶箪笥が激しく燃えるというのであるが、これを前提にしても、勝手口からの逃走を困難とさせる程火の手が回るには五分間以上の時間を要するのであり、事の顛末を認識している放火犯人にとって、右所要時間は逃走経路を確保する時間としては充分であったものと考えられる。被告人の放火行為に及んだという供述と、被告人が脱出の容易な勝手口ではなく、脱出することが相当に困難な出窓から脱出していること、出窓から片手で何かを掴み仰向けのような形で上半身を出して「あっちでば、あっちでば。」などと叫んでいたという客観的事実との間には矛盾があるというべきである。

更に、脱出の容易な勝手口からではなく、脱出の困難な出窓から脱出した理由につき、自白調書では全く触れられていない。即ち、この点について右自白調書には、「反射式石油ストーブの前に立ち干し物にライターで火を点けた。何十秒か数分かはっきりわからないが、燃え上がり、そのうち干し物の火の点いた一部がストーブの前周辺に何箇所か落ちジュウタンかカーペットかわからないが敷いていたのが燃え広がり、ストーブの上の大きな干し物も勢いよく燃え上がり周辺に燃え移った。腹いせにやったから干し物が燃え上がるのを最初からだまって見ていたが、火が強くなり、ジュウタンやストーブの上方の物が激しく燃え強くなり、それを見て本当に大変な事をしたと思ったが、消火しようにも手のほどこしようがなく、家全体に燃え移る状態で、私も焼けてしまうのではないかと思った。そして、どこでどちらに叫んだかはっきりしないが、「熱い、助けてくれ。大変だ。」というような事を叫んだ記憶がある。」、「オイルライターで火をつけたところ、すぐには燃え上がらず、少ししてから上の方に燃え炎が出て反射式石油ストーブの前や後に火の粉が落ちカーペットがくすぶり燃え、茶箪笥の上も燃えた。カーペットは二〇センチ位の大きさのものが三か所位が燃え、茶箪笥の上はビニールテーブルクロスが敷かれ、その上に人形、三味線の飾り物、置時計、領収書などがあり、バスタオルの火の粉で燃えた。その時の煙は階段のところから二階の方に流れていた。そのうち茶箪笥が激しく燃え大変なことをしたと気付いたが、その時には茶箪笥が激しく燃えており消火のできない状態であり、④の電話台のところの出窓の神様をおろし、サッシガラス戸を玄関の方へ開けて外のビニール網戸を夢中で何かで破り、上半身を外に出してあつい、あついと大声で叫び助けを求めた。」という概略的な供述があるだけで、火を見ていた場所、時間の経過等犯行後の被告人の行動に関する供述がほとんどなく、しかも出窓から脱出せざるを得なかった状況についても触れられていない。

(四) 重要な事柄に関する供述の変遷について

被告人の司法警察員に対する平成三年一一月六日付供述調書では「茶箪笥の前にある反射式ストーブの上に干していた大きめの布で敷布かバスタオルの二箇所位に火をつけたのです。…大き目の干し物も燃え上がり周辺に燃え移って行った。」という供述内容になっているが、同平成三年一一月七日付供述調書(「これから」で始るもの)では「Nが嫌がって居間から出て行き戻って来ないことからイライラし、面白くないことから腹いせで敷布かバスタオルの干し物に火をつけた。…他の干し物等が燃えたのを見て大変なことになってしまったと思った。」という供述内容になり、同平成三年一一月八日付供述調書(四枚綴りのもの)でも「Nが居間から出ていき、その後戻ってこなかったので腹いせにテーブルの上のオイルライターを手に持って立って行き、点火中の反射式ストーブの上付近に干していた敷布かバスタオルにオイルライターで火をつけた。」という供述内容であって、いずれも敷布かバスタオルと放火の客体が特定されておらず、また、点火後もあたかも接近して干されていた他の干し物に燃え移ったかのように供述していたにもかかわらず、同平成三年一一月九日付供述調書では、何の理由もなく「そのうちNが居間のドアを開けて出て行き、戻ってこないので何本かタバコを吸ったりしているうちにテーブルの上のオイルライターを手に持って腹いせに反射式ストーブの上付近に干して乾いていたバスタオルに火をつけた。」と放火の客体がバスタオルに特定され、他の干し物に燃え移ったとの供述も消えてしまっている。何に火をつけたのかは被告人にとって強く印象に残ることであって、後に記憶が喚起されて明確になってくるような事柄とは思われず、この点に関する供述に変遷が生じるにはそれだけの強い合理的な理由があるはずである。しかるに、右のような変遷が生じた理由につき自白調書には何の説明もなされていない。ところで、Nの司法警察員に対する平成三年一一月四日付供述調書によると、敷布とバスタオル双方をその端と端が接するような形で反射式石油ストーブの真上に干していたという供述内容になっていたところ、司法警察員作成の平成三年一一月一〇日付実況見分調書によれば、同月九日午前一〇時二〇分から午前一一時五五分まで行われた実況見分では、Nの指示説明により、バスタオルの約三分の二の北側部がちょうど右反射式石油ストーブの真上にあり、バスタオルの北端から約八七センチメートルの間隔を置いて敷布が約五三センチメートルの幅で干され、敷布は反射式石油ストーブからかなり離れて干されていた事実が明らかとなっており、右バスタオルに火をつけたという供述がなされたとする同年一一月九日の取調べは、証人三浦芳則の証言によれば、右実況見分が実施された後である同日午後三時から同日午後六時過ぎまでの間に行われたものである。右事実及び点火の客体が特定されたことにつき何の説明もなされておらず、合理的な理由が見出し難いことを考えると、前掲Nの供述や実況見分の結果で予備知識を得ていた取調官の誘導により供述が引出されたのではないかとの疑いを払拭できない。

同様に被告人の司法警察員に対する平成三年一一月六日付供述調書では「居間のどこから出たかわからないが、玄関の長靴をはき家に帰り寝た。」という供述になっているが、同平成三年一一月九日付供述調書では「電話台のところの出窓の神様をおろし、サッシガラス戸を玄関の方へ開けて外のビニール網戸を夢中で何かで破り、上半身を外に出してあつい、あついと大声で叫び助けを求めたところ、BのところにNが来た。その出窓から道路に降りそれから玄関に入り、脱いでいたゴム長靴を履いてから逃げ帰った。」という供述内容に変遷している。前述のとおり、出窓は脱出するのに困難な場所であって、このような場所から脱出したということは当然被告人の記憶に強く残るはずであって、後に至って記憶が喚起される事柄とは考えられないところ、自白調書には、その変遷の理由について全く触れられておらず、右供述の変遷は、合理的な説明のつかない不自然な変遷という外はない。

更に、反射式石油ストーブの前ないし周辺における燃焼状況に関する被告人の供述についてみるに、司法警察員に対する平成三年一一月六日付供述調書では、「干し物にライターで火を点けたのです。何十秒か数分かはっきりわかりませんが、そのうち干し物の火の点いた一部がストーブの前周辺に落ち、ジュウタンかカーペットかわかりませんが敷いていたのが燃え広がった。」旨、司法警察員に対する平成三年一一月七日付供述調書(「これから」で始るもの)においては、「干し物が燃え落ちてカーペットが燃え上がった。」旨、いずれも、火の付いた干し物が落下してカーペットが燃焼したとの供述をしている。

ところが、司法警察員に対する平成三年一一月九日付供述調書では、「バスタオル二箇所に火を点けたところ直には燃え上がらず、少ししてから上の方に燃え炎が出て、反射式ストーブの前や後に火の粉が落ちカーペットがくすぶり燃えて、茶箪笥の上も燃えたのです。カーペットは点火中のストーブの前にあり乾燥していたので二〇センチくらいの大きさのものが三箇所位が焼けて燃えた。」旨、カーペットに落ちたのは火の粉であり、それがくすぶり燃えたとの供述に変っている。この点につき、Nは、当公判廷で、三箇所の燃焼状況について、「ストーブの前は見えました。そのときに洗濯物の何というか、草を刈り集めた感じの、まあるくなって、こういうふうになったのが三つくらいストーブの前にあったんですよね。後で考えたときにはその洗濯物が揺れて落ちて、バスタオルか何かでも落ちたような感じの、上からぽんと落ちたような感じ、ぴったりではなくふわっとした感じがあったのです。」と、カーペットの三箇所が燃えたのではなく、その上の何らかの物体が燃えていた旨明らかに被告人の供述とは齟齬する証言をしているのである。

(五) 本件自白の基礎となるべき被告人の記憶の程度について

本件において特徴的なことは、被告人がかねてよりN方へ頻繁に通っており、大工という被告人の職業柄、同女宅の補修を手がけたこともあるため、N方の間取りや家具、調度品等の位置については熟知していたと考えられるのに対し、本件火災当日、被告人は酩酊していたことから、火災発生当日の状況についてはほとんど記憶がない可能性があるということである。

右の二点を前提として本件自白調書を検討した場合、前述したように、本人しか知りえないはずの犯行に至るまでの経緯、動機、犯行後の火の燃え広がり方等については、生々しい鮮明な記憶、印象とはほど遠い極めて簡単な供述しかなされていないのに、当日の記憶のみでは到底語られそうにない茶箪笥の上の置物や領収書の存在、勝手口付近の針金に下着類の干されたハンガーの吊るされていたこと等を極めて正確に供述している点が見受けられるのであり、この点からすれば、被告人が自己の記憶に基づいて公訴事実に沿う供述をしたとみることには疑問があるといわざるをえない。

3  検察官の主張について

検察官は、被告人の自白には犯人でなければ語り得ない事項について具体的、詳細に供述した部分があると主張するが、以下のとおり、検察官の主張する事項は、犯人でなければ語り得ないものとは言えない。

(一) オイルライターで敷布かバスタオルに火をつけたという点について

まず、「敷布かバスタオル」に火をつけたという点であるが、本件捜査においては、平成三年一一月四日の時点で、敷布とバスタオル双方がその端と端が接するような形で反射式石油ストーブの真上に干されていたこと、Nが火災に気付き、居間の戸を開けて見たところ、反射式石油ストーブの前のジュータンの方から二〇センチメートル×二〇センチメートル位の大きさの何かバスタオルか洗濯物を固めた様なもの三箇所位から炎が上り燃えていた(Nの司法警察員に対する平成三年一一月四日付供述調書)ことが捜査官側に判明している。右事実は、捜査官側に敷布かバスタオルに火をつけたのではないかとの疑いを抱かせる状況が被告人の自白前に存在していたことを示すものである。したがって、放火の客体についての前記供述は、犯人しか知り得ないものと言うことはできない。

オイルライターを用いたという点については、司法警察員作成の平成三年一一月四日付領置調書によれば、既に右ライターは、右供述をする二日前である平成三年一一月四日に領置されているが、この時点で領置されているということは、捜査官側では、右オイルライターで放火していたのではないかという疑いを有していたことを示すものである。同月六日被告人の取調べに当たった熊谷新一証人は、オイルライターが領置されていたことは知らなかった旨当公判廷で証言しているが、右オイルライターは重要な証拠物であり、これを上司である同人に何の連絡もなく、同人がそのことを知らなかったというのも不可解である。仮に、同人がそのことを知らなかったとしても、放火の手段として所携のライターを使用するというのは格別特殊な手段ではないし、また、被告人の司法警察員に対する平成三年一一月一四日付供述調書によれば、被告人が任意提出したオイルライターは、犯行直前に購入したようなものではなく、約五年前に娘から貰ったものであるというのであり、被告人としては右ライターの存在について詳細な供述をなしえたと考えられ、その供述をもとに取調官の方でオイルライターを使用して放火した旨の誘導をするのは容易であることを考慮すると、この点をもって犯人しか知り得ない事実の告白があったと言うことはできない。

(二) 火の燃え広がり状況について

検察官は「オイルライターで火をつけたところ、すぐには燃え上がらず、少ししてから上の方に燃え炎が出て反射式石油ストーブの前や後に火の粉が落ちカーペットがくすぶり燃え、茶箪笥の上も燃えた。カーペットは二〇センチ位の大きさのものが三か所位が燃え、茶箪笥の上はビニールテーブルクロスが敷かれ、その上に人形、三味線の飾り物、置時計、領収書などがあり、バスタオルの火の粉で燃えた。その時の煙は階段のところから二階の方へ流れていた。そのうち茶箪笥が激しく燃え大変なことをしたと気付いたが、その時には茶箪笥が激しく燃えており消火のできない状態であった。」との供述は、実際その状況を目のあたりにした犯人でなければ語り得ないものであると主張しているが、カーペットは二〇センチ位の大きさのものが三か所位が燃えていたとの点は、前述のとおり、Nの司法警察員に対する平成三年一一月四日付供述調書の中ですでにふれられているところであって、茶箪笥が激しく燃えていたとの点も、Nの検察官に対する平成三年一一月一四日付供述調書に茶箪笥と反射式石油ストーブのあたりからすごい勢で炎が立ち上がっていたとの供述があり、それ以前になされた警察官の取調べの段階でも、右供述は既に出ていたものと考えられるから、右の点は被告人の自白以前に捜査官側に判明していたものと考えられるから、右の点は被告人の自白以前に捜査官側に判明していた事実でしかなく、その他の点は、前述のとおり、本件以前に被告人が知悉していた事項に過ぎず、何ら犯人しか知り得ない事実を含んでいるものではない。反対に、被告人が火を見ていた位置、時間の経過、反射式石油ストーブの焼燬状況等についての供述がないこと前述のとおりである。なお、右三浦芳則は、被告人の取調べ時、Nの供述内容は全く知らなかった趣旨の証言をしているが、被害者がどのような供述をしているか知らないまま被疑者の取調べにあたるとは考えられないところであって、右証言は信用できない。

(三) 逃走状況等について

検察官は「④の電話台のところの出窓の神様をおろし、サッシガラス戸を玄関の方へ開けて外のビニール網戸を夢中で何かで破り、上半身を外に出してあつい、あついと大声で叫び助けを求めたところ、BのところにNが来た。その出窓から道路に降りそれから玄関に入り、脱いでいたゴム長靴を履いてから逃げ帰った。」との供述も、実際に体験した犯人でなければ語り得ないものであると主張しているが、被告人は頻繁にN方を訪れたことがあるのだから、出窓に神様が置かれていたことや出窓のガラス戸の外にビニール網戸があったことは被告人のよく知っているところであり、被告人に尋ねればすぐにその存在は捜査官にもわかることであり、出窓から脱出する際それらが邪魔になり、それを除去する必要があることは容易に推測しうるものであって、出窓の神様をおろし、サッシガラス戸を玄関の方へ開けて外のビニール網戸を夢中で何かで破ったとの点も捜査官において誘導不可能な事項ないし犯人しか知り得ない事柄とは言うことができない。なお、出窓からどのような姿勢で飛び降りたかについては全く供述がなく、この点においても右自白の信用性に疑問を生じさせる。

(四) 犯行直後の被告人の言動

検察官は、火災発生直後、被告人がNに対し「おれ、やったんでねど。おれ、やったんでねで。」と言ったことは、被告人の犯行を裏付けるものであると主張しているが、弁護人指摘のとおり、いわば命からがら逃げてきた直後の発言としてむしろ信用性が高いという見方もできるのであって、少なくとも被告人が放火行為に及んだことを裏付けるものとは言えない。

(五) 被告人の長男への自白

検察官は、被告人が、平成三年一一月四日の夜、長男に対し「俺は取り返しのつかない大変な過ちをしてしまった。」という趣旨のことを述べて、長男に自己の犯行を自白していると主張しているが、酔いのため記憶が欠落した結果、自らの潔白性に確信がないまま右のような発言をしたとも考えることができ、これをもって犯行の自白と断ずることはできない。

4  被告人が虚偽の自白をしたことに関する弁解

被告人は、虚偽の自白をした理由として、「警察官から、お前はいつまでもこうして覚えていない、知らないの言っていれば、本当に放火したことになると何回も言われたからである。」と供述するが、検察官指摘のとおり、確かにこれは、一見不合理な理由ではある。

しかし、被告人自らも不合理と理解する右弁解を取り繕うこともなく一貫してこの法廷で繰り返し供述する。

また、被告人は当公判廷で取調べの経過につき、「一一月四日の朝は八時半ころ警察が家に迎えに来た。その朝も大分酔っていて、自分の車もどこに置いてきたのかわからなかったので、町の駐車場何箇所か捜してもらって、最終的に吉田歯科の前に車のあることを確認してから能代署へ行った。その日は夕方六時ないし七時に家に帰ったが、警察官から最後までお前に間違いないという取調べを受け、自分では覚えていないが、警察がいうのであるから本当なのかもしれない、もし、自分でやったとすれば大変なことだと思って、息子がショックを受けないよう、もしかすると俺は大変なことをしたらしいと話をした。翌五日の午前はパチンコをしているときに警察に迎えに来られ午後から取調べを受け、夕方六、七時ころまでかかった。一一月四日、五日までは、自分はNが現場にいたように錯覚をしており、警察には、酔っていて何も分らないとの話をした。警察官は、お前一人だからお前に間違いないと言っていた。私は覚えていなかったので、逆にじゃあ何を燃やしたのか何に火を点けたのかを聞いた。私は、以前の記憶にあるNの家のストーブの側に置いてあった燃えやすいもの、テーブルの下にある新聞紙、座布団、長椅子の上にあるカバー、灯油等いろいろ聞いたが、私が言ったことは全部それでないと、最終的には私、油でもまいたのかと警察官に聞いたのだが、警察官は、それも違う、油まけばお前は死んでいると言った。そして、あくまで警察官は、バスタオルやシーツに二、三箇所火を点けたとそう言っていた。それで、じゃなぜ私が火を点けたとき相手Nが止めなかったかと、そういうふうに聞いたら、そのとき初めて、いやそのとき相手はいなかったんだと警察官が言ったので初めてNがいないことがわかった。六日は朝八時から夕方六、七時半ころまで取り調べられた。その日に自白した理由は、今考えればすごくおかしいことであるが、熊谷という警察官が、お前はいつまでもこうして覚えていない、知らないのと言っていれば、本当に放火したことになると、こういうふうに何回も言われたので、家族のことや色々あり、調べも結構きつかったし、そういうことでサインをした。七日は朝八時半ころ自分の車で警察に出頭、当日午後八時二三分ころ逮捕された。」と述べている。

捜査官が、実況見分ないしNからの事情聴取により一一月六日までに収集できた資料からすれば、被告人が本件放火をしたとの相当程度の確信をもって被告人の取調べに当たったことは容易に推察されるところである。

そうすると、被告人は、それまで警察で取調べを受けた経験がないことから、前途に不安を感じるとともに、被告人自身、酩酊状態にあった当夜の自己の行動を想起できないことから、自らの潔白さに確信を持てず、自信あり気な捜査官の態度も考慮した末、捜査官に迎合していった可能性がないとはいえない。

そうすると、被告人の右弁解を不合理かつ了解不可能なものとして一蹴することは相当でない。

5 以上のとおり、被告人の自白調書は、説明し得ない不自然、不合理な点が多々あり、当然供述がなければならない事項についての供述が欠如しているという全く杜撰なものであり、一方において、秘密の暴露的な自白の信用性を高めるような供述内容は見当たらないことなどを総合勘案すれば、酒に酔っていたため全く記憶がなく、取調官の誘導により供述したものであるとする被告人の当公判廷での供述を一概に虚偽であるとは否定できず、前記自白調書はいずれもその信用性に合理的な疑いがあるといわざるをえない。

五  結論

以上のとおり、被告人の捜査段階における自白はその信用性に疑いがあり、前記認定事実によれば、酩酊状態にあった被告人の身体に洗濯物が接触してストーブ付近に落下し引火する等失火の可能性も否定できないところであって、他に被告人が放火行為に及んだことを認め得る証拠はなく、結局、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条を適用して無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官富塚圭介 裁判官遠藤真澄 裁判官川本清巌)

別図〈省略〉

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